那覇市新焼却炉を考える?
循環型社会構築のために
清掃行政転換の舵を取れ!


 以前、このニュースに那覇市の新焼却炉について少々辛口の意見を掲載したけれども、那覇市からは何の反応もなく、寂しい思いをした。那覇市ではこうした市民の心配をよそに行政内部だけで着々と新焼却炉建設の準備を進めているようだ。

間に合わない焼却能力

 現在のごみ焼却施設は、南風原町の新川に位置し、1982年に稼働。処理能力は日量300トンの県内最大の施設だが、老朽化によって処理能力は年々低下してきている。

96年のごみの総量は375t/日。(南風原町分も含む)そのうち可燃ごみは296t/日である。しかし、実際に焼却できているのは206t/日しかなく、38t/日を浦添市に委託。残り52t/日は埋立処分されている。この可燃ごみの直接埋立は南風原町との協定違反であり、地元住民には過大な迷惑を掛けている。(実はこの問題について、那覇市は協定締結直後から違反しており、今に始まった訳ではなく、これまで問題解決への努力を怠ってきた。)このような事情から那覇市は早急に新焼却炉の建設を実現したいようだ。

市民不在

  那覇市は1997年にごみ処理施設建設検討委員会を発足させ、新焼却炉建設に向けての作業をスタートさせた。現在、新聞報道によると、那覇市は既に新焼却炉の機種選定を終え、南風原町と一部事務組合設立も決定し、2000年度着工を目指し、ひたすら準備を進めている。総事業費300億円を要する大事業だ。

  しかし、これだけの大事業でありながら、那覇市は市民に対してどのくらい情報を開示してきたのだろうか?それとも某市幹部がおっしゃるように「専門的なので市民に説明するものではない」と何とも時代遅れの考えをしているのでは?と大いに疑問が残るところだ。とにかく、現状のままでは市民不在の建設計画の誹りは免れないのではないか?

 そもそも「これからのごみ行政は、市民の理解と協力がなければ成り立たない」と言われている時代に、行政の説明責任の役割は大きいはずだ。それを怠った清掃行政は、たいていうまくいかない。それは全国の多くの事例が示している。

プラザの失敗

 那覇市は1991年に「ごみ減量・資源化推進事業実施計画」を策定し、ごみ減量・資源化への様々な施策をスタートさせた。そのメニューの多さは全国にも誇れるほどの勢いのあるものだったが、計画の大きな山場となる 1995年、プラザの建設によってごみ減量・資源化は大幅に後退してしまっている。

 市民がせっかく分別排出したビン類の多くは、プラザの中で他のごみと混ざり、残渣として貴重な最終処分場を埋め立てている。また、紙類を圧縮してブロックするベーラーという機械などは一度も使われることなく、ほこりをかぶっている。こうした事例がプラザにはいっぱいある。高価な機械が、なぜ、ろくに検討もされずに設置されたのかが不思議でならない。

 なお、念のために、現在のプラザは現場職員の必死の努力により、何とかその存在意義が保たれている状況だと言うことを、付け加えておきたい。

失敗の3要素

なぜ、プラザが失敗したか、それには、いろいろな原因が考えられるが、大きく3つの問題があったように思う。

 まず一つ目が、見切り発車ということだ。これは、補助金主体のスケジュールに合わせて進行し、あまりにも現場の状況を軽視しすぎていたのではないか?

 二つ目が方針の無さと施設主義だ。那覇市では“資源循環型社会をつくる”と宣言しているにもかかわらず、現実の施策は実にあやふやなものだ。
 それが、現場レベルで様々な混乱を起こしている。プラザ建設の時、市民への啓発を担当する環境業務課は、必死になって市民に分別を呼びかけた。
 その一方で、プラザの建設を担当する環境整備課は、市民の分別は当てにならないとし、資源ごみをいっしょくたんに処理する施設を目指していた。
 そうした施策の不統一はなぜ起こるのだろう?ろくな方針もなくとにかく大きな施設を造れば何とかなる、といった施設主義がはびこっていては決していい仕事なんかできるはずがない。この点トップの責任は大きいと思う。

 三つ目が行政の閉鎖性だ。ほとんどが内部だけの議論で進められてしまっていた。プラザ設計計画がおぼろげながら見えてきたころから、私たち市民団体やリサイクル事業者たちは、プラザに対する様々な疑問や提案をするようになったのだが、市側は「もう時間がない。コンサルタントを入れて充分に検討しているから大丈夫だ」などと発言し、市民の意見や提案は一切無視されてしまった。

 そしてできあがったのが、あの金食い虫のプラザだ。那覇市はプラザの失敗を総括するどころか、その失敗さえも認めようとはしていない。

全く同じ構造が・・・

 そして、現在の焼却炉建設計画を見ていると、上記で述べた失敗のための3要素がしっかりと組み込まれており、プラザの時と全く同じ構造のシルエットが見えてくる。
 行政は資源化よりも、焼却の歴史が長く、物を燃やすことについてはお得意なので、プラザ程の失敗はしないとは思うが、今、急いで取り組まなければならない課題である「循環型清掃行政」への転換を、大きく遅らせることは間違いないだろう。

 なぜ同じようなあやまちを犯すのかだろうか?まず考えられるのが、チェックの仕組みがないことだ。計画の段階から市民を寄せ付けず、稼働してもそれがうまくいっているのかいってないのか、市民にわかりにくいシステムが問題だ。
  一度、市民と行政が一緒になっていろんな既存の施設をチェックすると、ずいぶん無駄がなくなるかもしれない。

希望の光 それは市民だ!

 次に考えられるのが、新しいビジョンや理念を具体化することが、行政組織はどうも苦手らしいということだ。行政の文書には、「市民との協働」とか「資源循環型を目指して」等のキーワードをよく見かけるが、そのほとんどが単なるお題目で終わってしまっている。

 これは、行政の様々な面に共通する重要な問題だ。那覇市は第三次総合計画の中で「都市の主権者は市民です。地域の様々な問題を解決するために、市民が自らの選択と努力のもと、模索し活動することが市政の出発点です。市民との協働が、那覇市のまちづくりの基礎です。」「ごみの発生量をおさえるとともに、資源の循環型社会の実現を目指します。」と、市民社会の実現と循環型社会の実現を基本理念で高らかにうたいあげています。

 今の社会は多方面で行き詰まりを見せている。これを打ち破るには、価値観の転換が不可欠なのでしょう。物質的豊かさは限界に達しているのかもしれません。
 循環させていく仕組みを本気になって創り上げないと、人類の生存そのものさえ危うくなってきています。古い社会の仕組みを変えていくには、やはり、新しいパワーが必要です。その役を担うのは市民だと考えています。そこで、「自覚し、行動する市民をどれだけ生み出せるか、」ということが本当に豊かな地域社会を創造できるか否かのカギになるでしょう。

 そして、ごみは、市民参加を考えていくための優れた教材です。その教材を活かせるかどうかは、焼却炉建設計画で市民と一緒に考えていく仕組みを那覇市がどのくらいつくって行けるかどうかにかかってくるのだと思います。うるさい市民を相手にするよりも、黙ったまま働いてくれる、大きな施設を造ったほうが行政としては気楽かもしれない。しかし、そうした機械や施設に頼るシステムは、実はもはや行き詰まり、環境の面からも財政の面からも、限界に達しているのです。

 今、ここで取り急ぎ、ろくな方針もないまま、焼却炉を建設し、何とかなるだろうと施設主義に陥っても、すぐに最終処分場の問題が持ち上がり、そして、また15年後にはさらに大型の焼却炉が必要になってしまう。この矛盾の繰り返しをどこかで断ち切らないと。いつまでも地球に迷惑を掛けるようなごみ処理を続けてしまう・・・もう地球は僕らを許してはくれないでしょう。

 今こそ問題解決のために、市民と共に頭を抱えて模索し、活動していくことが時代の要請ではないでしょうか?この判断を誤ると、那覇市は環境行政も市民参加も遅れてしまう。
 焼却炉を単に、技術的問題で終わらすのはあまりにももったいない。この機会を那覇市が21世紀に向けて大きく生まれ変われるチャンスと捉えたい。
 焼却炉をテーマに、市民と行政が協働し、模索して行ければ、すばらしい人材とノウハウが生まれてきます。それは那覇市にとって大きな財産になることは間違ありません。
 出番を待っている市民が大勢います。これをうまく行政が施策の中に組み入れきれるかどうか、が大きなカギでしょう。
 今急ぐ必要があるのは焼却炉よりも、そうした市民を育てるための、研究や調査課題を整理するソフトの専門家を育てることでしょう。

 最後になってしまったが、こうした協働作業を続けていくことが、焼却炉周辺住民の不安や不満を少しでも共有化していくことにつながっていくと思うし、市職員の努力も市民へと伝わってくるものだと信じています。

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